2016/10/15(土)
近代
夢の中で、俺はとある打ち合わせに向かっていた。
エレベータを乗り換え、地下の地下に着く。
そこは天井が高く、広く、薄暗い空間。
以前に「無響室」として使われていた場所で、そこにオフィスを構えているのだ。
壁には特別な凹凸があり、すべての音はそこに吸い込まれてしまう。
人の声も、少し離れると、ささやき声にしか聞こえない。
あり余る空間で、仕事の合間にサッカーをしている人たちもいるが、お互いの掛け声もよく聞こえない様子。
打ち合わせをするにも、相手の声が届いてこない感じだと何となく不安になる。
「チーム作業の形が変わってきそうだな」
と俺は思うのだった。
つくば宇宙センターにはもう間に合わないのでバスでR。コロシアム横切る。食事。お子さまランチ。パパはカルビやき定食。3階で遊んだあと、1階で塗り絵。Yで隣町。水泳。さぼてんでお子さまカレー。パパは和定食。ねむがる。楽器店、本屋。妖怪ウォッチの日本昔話。バスで帰宅。寒がる。
発熱。明日のマザー牧場はキャンセルかな。
また、いきなり、
Windows の準備をしています
コンピューターの電源を切らないでください
だよ。くそう。
そろそろ昭和は現代じゃなくて近代っぽくなってきたな。
一般的には、第二次世界大戦後が現代ということになっているようだけれど、戦争終わった日から「今日から現代!」となったわけもなく、いつからそのような区切り方になったのかが気になる。
Wikipedia によると『ヨーロッパ史では、東欧革命を境にして「近代」と「現代」を分ける見方が増えている。』
時期的にも「昭和はもう近代にしてもいいかな」と思うのと一致している。
週刊現代創刊が1959年か。もしかすると、この辺から「戦後が現代」となったのかな。
子供の頃、30年くらい前の音楽やら漫画って古臭くて見る気さえ起こらなかったけれど、今だと、80年代の作品でも、結構鑑賞に耐える(というか面白い)ものも多い。
実は、近代以前のメディア状況もそうだったのかもしれず、やたら変化が激しかったのは、昭和の一時代だけだったのかもしれない。