2001/05/31(木)

耳掻き

 やあ、よいこのみんな。君達は耳掻きは好きかい? 僕は大好きだ。

 でも、僕みたいな通に言わせれば、市販の耳掻きってダメなんだよ。まず、ヘッドがでかすぎる。耳の奥に突っ込んだままでくるりとまわそうとすると、耳が痛いんだよ。小回りがきかない。これは、さらなる秘境をめざす僕らチャレンジャーにとっては、重大な問題だよ。それから、もう1つ問題点がある。それは先端の角度が甘いものが多いってことだ。120度ぐらいしか曲がっていなかったりする。それじゃ、垢を掻くというよりなでつける感じになってしまう。当然、耳垢がまるでとれやしない。やっぱり先端は男らしく直角にぐいっと曲がってないとね。全く、市販の耳掻きをつかっていては、快適な耳掻きライフなど望みようもないのさ。

 では、僕はどうしているか。

 作るのさ。自分のものは自分で。材料は割り箸がよい。工具はカッターナイフ。君もやってみるといい。ほんとによくとれるよ。衝撃だよ。「ああ、僕らは耳掻き製造業界に騙されてきてたんだ」ってきっと気づく。「目から鱗」ならぬ「耳から耳垢」状態なのだ。

 

2001/05/30(水)

パスポート

 実は、この年になるまで海外旅行したことがない。でも、外国行こうっていう話がちょっと出てきてるんで、パスポート申請についてネットで調べた。

 ……。この面倒くささはなんだ。身分証明の万国博覧会状態だな。腹立ってきた。くそ、むかつく。僕は車の免許持ってないから、健康保険証と年金手帳を用意しなくちゃなんない。ちょっと前まで実は健康保険にも入ってなかったから、その時なら印鑑証明を用意しなくちゃなんなかったな(年金手帳持ってない小学生とかは、いちいち印鑑証明をダミーで作っているのか?)。ふう。 戸籍抄本だか謄本も要るし、住民票も要る。官製はがきを用意しろだと? そんなもんそっちで用意しろ。「申請して通常1週間程度(土・日・休日を除いて)かか」るだと? 遅いぞ。大体、1週間あったら、絶対土日をはさむにきまってるだろうが。こういうのは普通の日本語では10日程度、あるいは、7営業日って言うんだよ! あー、いやになる。よく、みんな、こんな面倒くさい手続きやってるなあ。イライライラ。取得手続き、もっと簡素化しろよおい。政府も役人も、個人情報保護法案とか総背番号制とかくだらないことやってるひまあったら、こういうのを先に合理化しろよ、ぼけ。

 

2001/05/29(火)

デジタルからネオ・アナログへ

 たわごとに近いが、ちょっと前からよく考えていることを書いてみる。

 今、世の中では、なんでもかんでも、デジタル最高、デジタルすばらしいって具合になってしまっているのだが、実はこれからの時代、再び「アナログ」がキーワードになるんじゃないかなと思う。

 どういうことか説明してみよう。このコンピュータ時代、情報の処理法やデジタルへの落し方がより高度化し、大容量のデータを同時に扱えるようになることで、ビットとかバイトとかの最小単位を意識する必要のない(画像・音声といった)巨大データが多くなってきている。そして、そういう大容量データを人間は「うまく、簡単に」操作したい。数字を見せられて、判断して打ち込むなんて方法ではいらいらしてやってられない。もっと直感的に、目を使って、手を使って、声を使って操作したい。たとえば、GUI。たとえばマウス。つまり、振り返ってみると、デジタルの進歩はいつもインターフェースの「アナログ化」と二人三脚なんだ。ウインドウシステムもそうだし、VAIOノートなんかについているダイヤル的なインターフェイスとかもそう。アナログにあったものをメタファーとして再びよみがえらせていたりする。もちろん、根底で動いているのはデジタルだけれども、インターフェースの使いやすさってのは、往々にしてアナログ的なものだったりする。人間がアナログ的な動物である以上、アナログ的なものを必要とするようなのだ。

 ブルートゥースが普及して、ケーブルなしで機器がデータをやりとりするのが普通になったら、この視点はもっと重要になる。というのも、機器はどんどん「リモコン」化し、手で触れるインターフェースとしてどれだけ洗練されているかが一番大切な部分になってくるだろうから。たとえば、ビデオカメラ。今は、テープ関連の機構(つまり記録部分)が絶対に必要なので、値段もあんなにするし、機械もけっこうごついのだけれども、ブルートゥース使って、データを電波でとばし、記録部分はすべてパソコンにまかせるってことにすれば、大きさはぐーんと小さくなる。レンズと操作インターフェースだけしか残らない(値段も1万円くらいになるだろう)。そのときユーザビリティの上で、重要なのは、「アナログ的」にそれがどれだけ使いやすいインターフェースになっているかということなのだ。間違いなく。

 アナログ的インターフェースがどれくらい重要かってことを見るために、もうちょっと例をあげよう。たとえば、車のハンドル。もしあれをハンドルじゃなくて、ボタンで操作するのだとしたら……。ぞっとしますね(もっとも僕は車運転できないけど)。

 まとめ。これからの時代、さまざまな情報を処理するいろんな機械がどんどん新しく出来て、それらの操作を人間はやっていかなくちゃならない。その時、我々は、それぞれの情報処理にぴったりの「アナログ」的インターフェースを見つけ出していく必要がある。電子ブックの新しい形式も発明しなくちゃならないだろうし、Webで一覧性を実現するにはどうすればよいかってのも考えなくっちゃならない。ここで必要になる発想は、「デジタル」ではなくて「アナログ」だよ、絶対にね。時代は「デジタルからネオ・アナログへ」なのだ。

 アナログインターフェース論については、もうちょっと語りたいこともあるのだが(現実世界と違う物理理論に従う世界を操作するすぐれたアナログインターフェースの可能性についてとかね。人間は歴史上だれも持ったことのない新しい直感を獲得できるようになるかもしれない!)、それはまた別の機会に。

 

2001/05/28(月)

植物を描く

 今日、ヤマハギとヤマブキの絵を描いた。植物を描くのって大変。ヤマハギってマメ科の植物で、マメ科の植物の花って大体は「蝶形花」と呼ばれる独特の形の花を咲かせるのだが、その形の細かいところがよくわからなくて、ネットでいろいろ探し回った。ネットはこういう時役に立つ……といいたいところだが、デジタル画像って、解像度とかの問題で細かい部分がどうも見にくいというのが多くて、ほんと困ったよ。

 

2001/05/27(日)

何を作りたいか

 たまたま、クリエイターの卵達の動画短編作品集を見る機会があったのだけれども、思ったのは、表現したいものをちゃんと持っていて、しかも、自分自身でそれをきちんと認識している人間ってほんとうに少ないのだなということだった。特に、まともなストーリーを構築しようとしているものがほとんどなかったのは不思議。とりあえず、3DCG を使ってみたいんだよー、こんなことも僕はできるんだよーって言いたいだけなのかな。ストーリーとか、テーマとかって、今ははやらないのかな。

 あと、学生の作品って、作ったものとか持ってる技術とかをさらっと見せるともったいないと考えているのか、延々とのんびりしたカメラワークを続けたり、止め絵が長かったり、ほとんどの作品は、3倍速ぐらいにしたらもっと面白くなるのになあという感じだった。

 とはいうものの、ジャンルは違うけれども、かくいう僕自身、満足な作品が作れているかというと……。「言うは易し行うは難し」だね。

 

2001/05/26(土)

セブン

 今日、「セブン」のDVDを買った。実は初見。衝撃的なラストシーンというのは、あれのことだったのか。割合素直かも。ちなみに、僕は「ファイトクラブ」、かなり好き。

水橋貴己

 かけてもいいが、この子大ブレイクするね。田中麗奈ぐらいにはいくんじゃないだろうか。品がいい感じだから、NHKのドラマなんかで近いうち主役はったりするんじゃないか?

 

2001/05/25(金)

プログラムという言霊

 どこかのページに、「コンピュータのプログラムというのはまさに言霊だ」という記述があった。いや、これ気づいた人、すごいね。確かにそうだ。人間を介せずに、言葉が物理的操作に直結することなんて、人類史上、初めてなんじゃないか(もちろん、ダイヤル錠とかも広い意味ではそういう性質を持っているけどレベル的に全く違う)。そう考えると、コンピュータゲームで、言霊の端的な表現である「呪文」があふれるRPGってのが人気があるというのも、なんとなく納得がいくような。ちなみに、僕はほとんどのRPGって嫌い。ドラゴン倒してお姫様助けるなんていう世界観がもうダメ。

地球の裏側から放火

 これからの時代って、なんでもデータベース化&ネットワークってなるんだろうけど、ちょっと怖いと思うこともある。

例1:僕の主治医のコンピュータにクラッカーが侵入して、僕の遺伝子情報をちょいと書き換えちゃいました。お医者さんは、それを知らずに、その書き換えられた情報を元に、僕に遺伝子治療を施しました。その結果、僕自身の遺伝子もクラッカーに書き換えられたことになっちゃいました。

例2:家庭にあるすべての機器がインターネットにつながるようになった時代、地球の裏側のどこかの国のクラッカーが、我が家のお風呂の制御機器に侵入して、空焚きの状態にしてしまいました。その結果僕の家は火事、地球の裏側からの放火が成功と相成りました。

コンピュータ的ダイエット

 誰か、キーボードケーブルとコンピュータの間にはさんで使う機械で、自転車漕ぎみたいなのがついていて、漕いでる間だけキーボードケーブルが通電して、漕がないとキーボードが使えないようなモノ、作ってくれ。絶対ダイエットに役立つよ。僕も最近腹が出てきて困っているのだ。

 

2001/05/24(木)

冒険家の死に際

 行方不明だった冒険家、高野さんの遺体が見つかったらしい。冒険家って、その死に際、どんなこと考えるんだろうか。「しまった」とだけ一瞬思って、もう死んでたりするのかな。

ペット

 昨日、渋谷のドンキホーテで動物プランクトンみたいなものの飼育セットを買った。シーモンキー(いわゆるカブトエビね)とかと同じようなもの。スペースモンキーという名前がついていた。ファイトクラブに出てくる奴らと同じ名前だな。

 さて、昨日のうちに、塩水作って、卵を播いて置いといたら、今日にはもう孵化していた。新しい生命が動いているのを見るのはなかなか楽しいね。

 そういえば、家庭内植物(植木鉢とかに植えるやつね)を育てる人の割合って、そこが都会であればあるほど高くなるらしいね。やっぱり、安らぎを求めるということか。植物ではないにしろ、こういうのを飼おうと思うあたり、僕も疲れた都会人の一人ということなのかね。

 ところで、これ読んでいる皆さん(のうち、男性の方)、自分の精子を顕微鏡で見たことありますか? 僕はあります。以前、身の回りの理系の男の子に聞いたら、大体半分ぐらいは見たことあるって感じでした。いや、ただ、スペースモンキーがぴくぴく動いているのを見たら、なんとなく思い出しちゃっただけなのだが。

何が女帝じゃ!

 今、雅子の妊娠と言う話から飛び火して、女帝を認めるかどうかってのが結構話題になっているみたい。で、新聞とかみると、その根拠として「男女平等の時代だし」なんてことが書いてある。しかし、僕に言わせるとこれは全くもって「ナンセンス」なのだ。こんなことを書くやつは馬鹿じゃないか。その理由。「男女平等」なんて言っているが、じゃあね、そもそも、天皇と人民の間の差別はどうなのよ。両者は平等なのか? なんで男女差別に気づいて、日本国最大の階級制度・差別制度には言及しないのよ? これが全くおかしいわけよ。それにね、日本で数人しか対象にならないような事柄について「平等」うんぬんいうことって本質的に意味がないってわからない? 「彼らは特殊階級だ。その限られた人間たちに適用されるルールも特殊だ」ということでしかないわけ。こういうのは「平等」とかの話とリンクすべきものではないよ。

 全く、「男女平等だから女帝もあり」なんて言う輩は、同時に「打倒天皇制」も言えよって感じだ。

 だから、僕としては、むしろ、「天皇制はなんとしても護持すべきだから、女帝も考える」って開き直って素直に言ってくれた方が、そういう立場もあるのはわかると、論理的には納得できるわけ。もちろん賛成しないけどね。

 

2001/05/23(水)

ITは歴史を伝えられるか

 最近、コンピュータ・IT的な表現、Web的な表現って、絶え間なく歴史を断絶しているというか、インターゼネレーション性が低いと言うか、なにか、世代的な断絶を常に含んだ表現にしかならないんじゃないかって気がしてならないのだ。

 具体的に述べよう。僕は比較的昔からコンピュータを使ってきたわけで、PC-8001の全盛期なんかも一応知っている。そのあとは、フロッピーディスクとかが使われるようになって、16bit になって、MS-DOS で…という具合に進展してきたわけだ。それでね、各時代を今振り返ると、それぞれの時代で、かなりいろいろ出来る人々が、さまざまなものを作ったり、表現したり、まさに、文化の担い手として、少なくとも同時代的には、すごいこととかけっこうやってたりするんだ。でもね、それらを同時期に体験した人はともかく、そうじゃない人が、今、そういう時代性を追体験なり、擬似共有したりできるだろうか? できないよね。MZ-700 のXevious すげー、っていっても通じないでしょ? いや、知らなくてぜんぜん構わなくて、それでいいわけなんだが、ここで感じるのは、こうやって断絶があるっていうのは、単に時間がたったからとかいうことじゃなくて、おそらくはコンピュータ・IT的な表現の特徴からくるところが大きいんだろうなあってことなんだ。

 旧来の表現と比較してみればよくわかる。たとえば、漫画、あるいは、小説、はたまた音楽、これらのメディアって、かなりの部分、追体験できるのだよ。お父さんが読んだドラえもんを「ほら、面白いだろ」って子供に見せたら「うん面白い!」ってなるんだよ、自然に。中学生がビートルズ聞いても不自然じゃないんだよ。で、これらの制作者たちってのは、文化の担い手として次世代にもメッセージを送れたりするわけよ。

 反対に、たとえば、FM-7 でサウンド作りのノウハウ覚えたり、PC-9801RXでスクリーンセーバとか、ファイル管理システムとか作ったりしていたとしても、今に直接残るものってなにかある? もちろん概念は残るだろうが、公平にいって、実際のモノとしてはほとんどなにも、なにも残らない。

 うん、もちろんコンピュータ・IT的な表現の側にもエミュレータなんてものがあって、N88BASIC が動いたり、あるいは MAME とかでアーケードゲームやったりはできるよ。昔のものが動いたりする。でも、そんなのが小学生の間に流行ったりするかい? あれは、あくまで、おっさん世代のなつかしアイテムに過ぎないのではないかな。

 じゃあ、なぜ、コンピュータ・IT的な表現って、「歴史の断絶」を含んでいるのか。まあ、当たり前なのだが、これらの表現では、配布メディア・フォーマット・仕様といったもろもろがすぐに古くなって次の時代に残らないってのがある(関係ない話だが、604e 350MHz のせたパワーマックが出た頃、「一生つかえるから安いですよ」とアップルの社長が言っていたが、MacOSX って G3 以上じゃないと動かないじゃないか!)。いや、ほんとこれは深刻で、たとえば、数年前に日本でよく使われていた画像形式とかも、今では、一部のソフトでしか使えなかったりするし、もちろん、大昔のテープに録音してたプログラムなんて、どこにいっても使いようがない。おそらく、日本中に、「昔、PC-9801使っていろいろ絵とか描いたけど、そのデータが入っているフロッピーはもう押し入れの奥で埃かぶってて、それを見ることのできるマシンは手元になくて、ああ、もうあれは幻だよなあ」っていう人、けっこういるんじゃないでしょうか。

 正直言って、僕にとってこういうことってすごくさびしいのよ。ほんと、自分の将来の子供に伝えられない文化ってことになっちゃうわけよ。どういうこと?って思っちゃう。僕は、仕事柄、毎週毎週 Webページ をたくさん作っているわけだけど、これじゃ、子供が大きくなったとき「お父ちゃんがやった仕事だよ」って見せてあげることってほとんど考えられないんじゃないか。実際、これは悲しいよ。別に、歴史の1ページに自分の仕事が残るとか残らないとかを問題にしているわけじゃなく、僕としては、むしろ、自分の作ったモノなんて、ちょっと時間が過ぎれば、他人のモノと同じだから、まあ、どうだっていいのだが、それにしても、ふと思い出したときに、ちょっと引っ張り出してきて子供に見せてみるといった、ごくささいなインターゼネレーション性がないってのは非常に悲しいよ。

 デジタルメディアってのは、少なくともそのメディアが流通している間は、ほぼ完璧な記録性もある。でも、そのタイムスパンは経験上、大体5年くらいで長くて10年。10年経つと、一生懸命みんながやってきた表現、あるいは文化は一巡して0になり、時間をこえてそれらを直接伝えることのできるチャンネルはないまま、再び(断絶ゆえの)「新しさ」をもった表現が繰り返される。

 これって結構大変なことだと思いませんか?

 後、Web に関しては、これが非常に「歴史」とか「ストーリー」を語りにくい表現形式だっていうのもあって、これが悩みの種なのだが、上記の話とはちょいとそれるので、また今度書こう。

 
前の月トップ次の月