2005/09/09(金)

日記

 読書して昼寝(正確には夕寝)。寝る時間の方が多いかも。あまり読書は進まず。

 昼飯は昨日のグラタンの残り。

 昨日書いた死にかけゴーヤの実は、なんだかぐにゃだらーとしてきたので摘んでしまう。残念。

 夜、店内の改装が完了したジャスコへ。衣料品売り場が拡充している。食材をたくさん買う。

 晩飯は晩飯はメダイのお刺身。マイタケと小エビとニンジンの葉のカキアゲ。ワカメの吸い物。

 投票日が迫っているからというのもあるが、ふと、1980年代以降についての政治や社会の大状況について、もう一度確認してみたいと思う。時代の空気を追体験してみたいのだ。

 「できるだけ当時の記述のまま」でネットで公開されている資料を探す(普通にネットで検索すると同時代的なものというより、現在の視点で濾過・再解釈されたものになってしまうから……)。

 うむ、無料で見られるものとしては日本労働年鑑が役に立ちそう。

 そして、有料ではあるが、コストパフォーマンスが高いのは、読売新聞のサービスであるヨミダス文書館。これを使えば1986年9月以降の新聞記事を検索できる。この手の検索サービスは、1件の検索あたりいくら払うという形になっているのが多いのだが、ヨミダスは固定料金(月額525円)。非常に素晴らしいコンテンツだと思う。

 で、さっそく購読登録、1986年9月あたりからの記事をなんとなく眺めてみる。

 この時代は、中曾根政権末期。いわゆる「タカ派」的な空気が覆っているという点で、今と相似な部分が結構ある。

 たとえば、「新しい教科書を作る会」の前段階的なものとして、「日本を守る国民会議」による歴史教科書作りが行われたもこの時代。

 また「藤尾文相発言問題」(「文藝春秋」上で「日韓併合は韓国にも責任」と発言)もこの時期である。

 この藤尾発言に反応しての読売の社説はどうなっているか。

 曰く、「放言もここまでくると、政治家としての資質を疑わざるを得ない」「これらの条約が日本により一方的に押しつけられたことは明らかである」。

 俺の記憶では、この時代は(少なくともマスコミにおいては)ほぼこういった捉え方が主流であったように思う。それが「常識」だったのだ。

 しかし、今の状況は大分違う。たとえば、(読売の直接的意見という形ではないが)最近の「日韓歴史共同研究、認識の違い浮き彫り」「朝鮮総督府」といった記事にあるように、両論併記という形をとるようになってきている。いつの間にか、時代の空気は確実に変化しているのだ。

 と考えると、19年という時間は結構長い。というわけで、忘れっぽい僕らには、このヨミダス文書館はお勧めであります。

 あと、ちょっと思ったのは、大学ってのはいかに恵まれた環境にあるかということ。この手の検索サービスって、大学図書館なら自由に利用できることが多いみたい。大学にいる人たち、こういうのは宝の山ですよ。というか、毎日、昔の新聞を読むという行為を大学在学中の4年間続ければ、物事の認識の仕方という点で、受ける影響は大きいでしょうね。時代が違うと、同じような事柄について語っている言葉でも、全く中身が違ったりするのですよ。

 それから、これは余談なのだが、サンケイ新聞って「全国紙としては唯一、縮刷版 を発行していない」らしいですね。

 

# okyn 『時代の違いによる認識の違いって面白いですね。私も日々自分で考えているようでありながら、その時代の空気に洗脳(言葉は悪いですが)されながら生きてる感じがします。うーんうまく表現できません。。。』

# morimon 『洗脳というと、誰か旗振り役がいるかのようですが(実際、いるのかもしれませんが)、まあ、人間ってのは単純に、物事をすぐに忘れちゃうというだけなのかもしれません。その割には、「歴史」とか「伝統」という言葉はよく使われるわけで、そういった言葉によって喚起されるイメージってのが、どれくらい根拠のあるものなのかってのは、いつも意識してなくちゃいけないと思いますね。』

# morimon 『読売新聞の写真検索も面白いですよ。うちのあたりは埋立地だから、昔の姿見ると結構びっくりする。https://db.yomiuri.co.jp/shashinkan/

# okyn 『うちのあたりは警察予備隊の演習地だったんですねえ。。。石川島播磨重工もありましたね。いま埋め立て地のあたりが海だったころ、深川の祖母(85?)が海水浴に向かう客にお弁当を売ったという話をきいたことがあります、昔は本当に海だったんだなあと。。。確かにすぐ忘れてしまうだけかも、で歴史とか伝統とかは都合に応じて持ち出すものなのかなと思います。』