2001/05/23(水)

ITは歴史を伝えられるか

 最近、コンピュータ・IT的な表現、Web的な表現って、絶え間なく歴史を断絶しているというか、インターゼネレーション性が低いと言うか、なにか、世代的な断絶を常に含んだ表現にしかならないんじゃないかって気がしてならないのだ。

 具体的に述べよう。僕は比較的昔からコンピュータを使ってきたわけで、PC-8001の全盛期なんかも一応知っている。そのあとは、フロッピーディスクとかが使われるようになって、16bit になって、MS-DOS で…という具合に進展してきたわけだ。それでね、各時代を今振り返ると、それぞれの時代で、かなりいろいろ出来る人々が、さまざまなものを作ったり、表現したり、まさに、文化の担い手として、少なくとも同時代的には、すごいこととかけっこうやってたりするんだ。でもね、それらを同時期に体験した人はともかく、そうじゃない人が、今、そういう時代性を追体験なり、擬似共有したりできるだろうか? できないよね。MZ-700 のXevious すげー、っていっても通じないでしょ? いや、知らなくてぜんぜん構わなくて、それでいいわけなんだが、ここで感じるのは、こうやって断絶があるっていうのは、単に時間がたったからとかいうことじゃなくて、おそらくはコンピュータ・IT的な表現の特徴からくるところが大きいんだろうなあってことなんだ。

 旧来の表現と比較してみればよくわかる。たとえば、漫画、あるいは、小説、はたまた音楽、これらのメディアって、かなりの部分、追体験できるのだよ。お父さんが読んだドラえもんを「ほら、面白いだろ」って子供に見せたら「うん面白い!」ってなるんだよ、自然に。中学生がビートルズ聞いても不自然じゃないんだよ。で、これらの制作者たちってのは、文化の担い手として次世代にもメッセージを送れたりするわけよ。

 反対に、たとえば、FM-7 でサウンド作りのノウハウ覚えたり、PC-9801RXでスクリーンセーバとか、ファイル管理システムとか作ったりしていたとしても、今に直接残るものってなにかある? もちろん概念は残るだろうが、公平にいって、実際のモノとしてはほとんどなにも、なにも残らない。

 うん、もちろんコンピュータ・IT的な表現の側にもエミュレータなんてものがあって、N88BASIC が動いたり、あるいは MAME とかでアーケードゲームやったりはできるよ。昔のものが動いたりする。でも、そんなのが小学生の間に流行ったりするかい? あれは、あくまで、おっさん世代のなつかしアイテムに過ぎないのではないかな。

 じゃあ、なぜ、コンピュータ・IT的な表現って、「歴史の断絶」を含んでいるのか。まあ、当たり前なのだが、これらの表現では、配布メディア・フォーマット・仕様といったもろもろがすぐに古くなって次の時代に残らないってのがある(関係ない話だが、604e 350MHz のせたパワーマックが出た頃、「一生つかえるから安いですよ」とアップルの社長が言っていたが、MacOSX って G3 以上じゃないと動かないじゃないか!)。いや、ほんとこれは深刻で、たとえば、数年前に日本でよく使われていた画像形式とかも、今では、一部のソフトでしか使えなかったりするし、もちろん、大昔のテープに録音してたプログラムなんて、どこにいっても使いようがない。おそらく、日本中に、「昔、PC-9801使っていろいろ絵とか描いたけど、そのデータが入っているフロッピーはもう押し入れの奥で埃かぶってて、それを見ることのできるマシンは手元になくて、ああ、もうあれは幻だよなあ」っていう人、けっこういるんじゃないでしょうか。

 正直言って、僕にとってこういうことってすごくさびしいのよ。ほんと、自分の将来の子供に伝えられない文化ってことになっちゃうわけよ。どういうこと?って思っちゃう。僕は、仕事柄、毎週毎週 Webページ をたくさん作っているわけだけど、これじゃ、子供が大きくなったとき「お父ちゃんがやった仕事だよ」って見せてあげることってほとんど考えられないんじゃないか。実際、これは悲しいよ。別に、歴史の1ページに自分の仕事が残るとか残らないとかを問題にしているわけじゃなく、僕としては、むしろ、自分の作ったモノなんて、ちょっと時間が過ぎれば、他人のモノと同じだから、まあ、どうだっていいのだが、それにしても、ふと思い出したときに、ちょっと引っ張り出してきて子供に見せてみるといった、ごくささいなインターゼネレーション性がないってのは非常に悲しいよ。

 デジタルメディアってのは、少なくともそのメディアが流通している間は、ほぼ完璧な記録性もある。でも、そのタイムスパンは経験上、大体5年くらいで長くて10年。10年経つと、一生懸命みんながやってきた表現、あるいは文化は一巡して0になり、時間をこえてそれらを直接伝えることのできるチャンネルはないまま、再び(断絶ゆえの)「新しさ」をもった表現が繰り返される。

 これって結構大変なことだと思いませんか?

 後、Web に関しては、これが非常に「歴史」とか「ストーリー」を語りにくい表現形式だっていうのもあって、これが悩みの種なのだが、上記の話とはちょいとそれるので、また今度書こう。

 
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