2001/06/01(金)
人生のバックアップ
ビデオカメラつきメガネの試作品についての記事が雑誌に載っていたのだが、それ見て、以前にちょっと考えたことを思い出したんで、書いておく。
この「見たものをすべて記録しておく」っていうアイデアって、実は、極端なところまで推し進めると、かなりエライ意味を含んでいるよね。ぶっちゃけていうと、「生まれた時から死ぬまで目に入るすべての場面をずーっと記録しつづけることが可能になる」ということなんだよ。次の10年間で記録媒体の容量って爆発的に増大することは間違いないから、こいつはかなり確実な話だ。とするとどういうことになるか。
たとえば、街ですれ違った美人を夜中にふと思い出そうとして思い出せなくてちょっと悔しいこととか男ならあるでしょう(どういう状況で思い出そうとしているかは問わないことにする)。あるいは、授業中、手がおいつかなくてノートがとれなかったこととかもあるでしょう。ものをなくしちゃってどこでなくしたかわかんなくて困ることもある。子供の頃に住んでいた町の風景、なつかしいけど、細かいところが思い出せなかったり、あるいは、仲良しだった友達の顔を思い出せなかったり。でもね! ビデオカメラで人生を記録しておけば、これらは全て解決するんだよ。まったく恐ろしいことに。人生のすべてが記録されているわけだから。
記録には、僕がなにしていたのか、どういう生活をしていたのか、全部残っている。僕の人生なのに、僕が忘れたことが全て記録されている。「思い出を思い出す必要はない」。何年何月何日って指定すればすべて再生される。補助的に動画解析ソフトを使えば、今までオナニーした回数は何回か、初めてチン毛がはえたのはいつか。会話を交わした人間の数、食べたものの統計……なんだってわかる。
そして、この記録は当然他人が見ることが出来る。たとえば、あなたが科学者なら、アインシュタインの人生って興味ない? ジョン・レノンでもいい。レーニンでもいいや。もし、彼らの人生がそうやって記録に残せていたとしたら、原理的には、彼らの人生を(もちろん制限ありまくりだけれど)追体験できる。思想の源泉が見えてくるかもしれない。
すごいよこれは。まさに「人生のバックアップ」だ。
自分の子供ができたら、生まれた時からそういうカメラをつけて生活させるというのも面白いかもね。
……もちろん、最後の一文は冗談だ。本気にしないように。まあ、そのうち馬鹿な自称アーティストがやっちゃうとは思うが。本心では、上に書いたようなことが起きかねないテクノロジー社会ってかなりヤだなって僕自身は思っているのですよ、ほんとに。
人生のバックアップ2
上で述べたことの本筋からはそれるのだが、ちょっとした副次的考察をしてみる。
もし、上で述べた動画解析ソフトってのがもっともっと高度化したらどんなことになるだろう。たとえば「美人」を検索したいとき。「美人」ってかなり主観的なものだよね。最初のうちは「丸顔」「ぽっちゃり」「和風」といったキーワードを使って検索できるソフトができるだろう。でもそのうち、もっと進化したバージョンでは、すんごく賢い人工知能を使った美人判定が行われるようになるかもしれない。つまり、「全記録」を解析して、僕がどういうのを美人とみなすのかをソフトが判断してくれるようになるだろう。僕の好みの顔を選び出すエージェントになってくれるのだ。「好きな食べ物」「もっとも悔しかった出来事」「もっともうれしかった出来事」……ぜーんぶ、僕の性格にあわせて、適切に判断を返してくれるわけだ。そうやってソフトはどんどん僕という人間の判断様式を吸収していくだろう。かなりの部分で僕以上に僕を知っていることになるに違いない。僕よりもずっと僕の人生について詳しい存在になりかねない。
……んん? となると、一体、この人生は誰の人生なんだ? 僕が生きる理由はなんだ? 誰がこの人生を生きているんだ?