2004/10/07(木)
日記
今日もいい天気。空が澄み渡っている。
午後、秋葉原にて打ち合わせ。俺って、ネット関連の仕事してるし、おたく属性もやや高めなんで、秋葉原には詳しい人間であると思われたりもするんだけど、実はほんのたまにしか行かない。年に一度行くか行かないかくらい。もしかすると上野動物園に行った回数の方が多いくらいかもしれない。
打ち合わせの後、有楽町で電車を降りて少し散歩。
今日はメガネをしていたのだが(というか、最近はコンタクトよりメガネしている日の方が多い)、そのことに関連して小発見。
俺のメガネってそこそこ度があるんで、街の灯りをメガネ通して見ると、色収差で色がスペクトルに分離したりするのだけれども、実は、ぱっと見には同じ色でもスペクトルの出方がまるで違う場合があるのね。
たとえば黄色。
緑と赤の2色のダイオードを同時に発光させて黄色を作っているような電光掲示板の場合には、メガネで見るとくっきりとした赤と緑の2色にスペクトル分解される。ブラウン管やカラー液晶での黄色も同様。
一方、単色の黄色で出来ているライトや看板なんかだとスペクトル分離は生じず、なんの色滲みもない。
まあ、当たり前といえば当たり前の話なんだけどね。
結局、人間の目はかなりいい加減に色を認識しているってことで、本来はまったく違うスペクトル構成を持つ光でも、人間の目では同一に見えてしまうわけだ。
音の話で例えれば、これって「ドとミの和音とレの単一音が区別できない」といったようなこと。聴覚はもちろんそれが可能なわけだが、その分、方向の定位性を犠牲にしている。
こういう色覚の話ってちょっとしたミステリーやSFのネタになりそうね。自分がいるのがリアルな世界だと思っていたら実はバーチャルな世界で、そのことを目に見える映像の色収差から気付く……といった感じで。
ジャスコへ。食材を買う。
晩飯はジンギスカン。冷蔵庫に残っていた牛肉も一緒に焼く。マグロのアラ入り味噌汁も美味。
寝る前に例によってプロジェクタで録画放送鑑賞会。Tさんに「シンプソンズはまりすぎ」と言われてしまったので、今日は意地でも違う番組を見ることにしよう。というわけで、「チャングムの誓い」を見た。いや、なかなか面白いです。気楽に見るにはいいかも。しかし、あのおばさんの髪型にはインパクトあり過ぎ。
ところで、今日、とある方の日記の中に「日記を三年続けて書いた人間は、将来何かを成す人間である。十年間続けて書いた人間は、既に何かを成した人間である」という言葉を発見しました。元々は「氷点」の中に出てくる言葉らしいけど、俺学生時代に読んだのにも関わらず覚えていません。で、俺も一応3年以上日記書いているから(途中中断があるけど)少しいい気分になりました。
しかし、今日の日刊スポーツには「日記つける人は不健康?」なる記事が。「つける人は、頭痛や不眠、消化不良、さらに社会的な不適応などが多い」んだと……。がーん。
今日届いた本
橋本 治「上司は思いつきでものを言う」、城 繁幸「内側から見た富士通「成果主義」の崩壊」。
# やっちん 『believe には lie が含まれている、といった人がいたっけ。』
# morimon 『そういえば、translation は、lost in an art のアナグラムになっているって知ってる?』
# やっちん 『んでも、>ぱっと見には同じ色でもスペクトルの出方がまるで違う場合があるのね。なんだか楽しそうだね。アフリカのとある原住民は虹は3色だというとか。中間色の概念がないらしいね。』
# T隊長 『先日はどうも。そういえばなんで肉眼はそれ自身の色収差を感じないのでしょうか?』
# morimon 『色収差、肉眼でもかすかにある気がする。』