2005/11/09(水)
日記
米軍による化学兵器使用疑惑。黄燐らしいけど。
ノートン。まだ期限残っているのに、アクティベートを促される。おかしいな。まあ、いい機会だから、2006 にしちゃうか。ということで、ダウンロード販売で買ってインストール……インストール・トラブル。除去ツール使って、アンインストールした後に再インストール。面倒だな。
げ、アップグレード版・ダウンロード購入よりも、Amazon でパッケージ買った方が安い……。ショック。
なんとなく、手塚治虫「シュマリ」を引っ張り出してきて読む。面白い。手塚治虫の作品って、ストーリーが主でキャラは従みたいなところがあるんだけど、これはそうでもない。キャラ間の情愛がイイですね。
晩飯はほうとう。嫌いなカボチャが入っている。でも、味噌とよく合う感じで、意外に食える。「これでうちでもカボチャ解禁?」と聞かれるが、そんなことはありません。カボチャを食うと、戦時中の記憶が蘇ってイヤなのです。
夜は、ヘルプ・ドキュメント作り。CSS で整形。俺は、どっちかっつーと CSS の利用には慎重な方なんだが、こういう、クライアント環境が限られていて、かつ、論理的な html については、CSS によるデザイン分離が非常に効率的。作っていて気持ちがいい。
で、たまたま「Nifty_Corners に関する議論」なんてのが過去にあったことを知る。角丸囲みを CSS でどう実現するかということについての話。可変幅の角丸囲みって、TABLE なら容易なんだけど、CSS だと、どうも「キレイ」にいかないのよね。で、その一方法として、Nifty_Corners ってのがありまして、その方法の功罪について随分と議論されたようで……。
こういうのを見ると、世の中の流れは、すっかり CSS を使った「デザインと HTML の分離」に傾いているんだなって思う。
でも……そもそも、この世の全ての HTML について、デザイン部分が分離してなくちゃいけない理由ってのはなんなんだろ?
メンテナンス性?
いや、CSS 一ヵ所いじったら、全部に影響するってのも、場合によってはメンテナンス性悪いですよ。それに、どこの部分がどこに影響しているのかが局所的には全くわかりにくいソースっていうのも多いしな(いや、それは書き方の問題か)。デザインに関しては局所的にやるのが好きっていう人もいると思うよ(そういや、普通はプログラマってグローバルな定義って嫌うものだったはずなのに、CSS に関してはあんまりそうじゃないのね)。
大体、メンテナンス性なんて、製作者の側の問題だから、作っている人が必要に応じてなんらかの方法でテンプレートとデータの分離をきちんとやれるような環境を用意できている分には(うちはそう)、他人にとやかく言われることでもないような気がするし……。
互換性? W3C Valid であることと互換性があることは、全く別でしょう。
Yahoo とかのマークアップ記法を「ひどい」という人も多いけど、ああいう古くからあるサイトって、結局、現時点でメンテナンス的にもある程度合理的なシステムができあがっているんだろうし、現状でほとんどのブラウザで問題ないものをわざわざ再修正する必要もないって考えているんだと思うよ。
もちろん、「デザインと HTML の分離」を適切に行えばテキスト・ブラウザや読み上げブラウザに対してフレンドリーになるという意見はあるけれども、とはいえ、TABLE タグをバリバリ使おうが、その辺に対してフレンドリーに作ることは可能だし、その論点だと、じゃあ CSS に適切に対応していない古いブラウザに対してのフレンドリーさはなくてもいいのかなんていう議論にもなっちゃうし……。
いや、お恥ずかしい話ですが、俺って実は未だに、ページ作る度に Netscape4 とかでついチェックしちゃうのね。同じ情報が同じ見た目で伝えられるのなら、ちょっとくらいマークアップが汚くても……という、ちょっと理系めいたしょーもない感覚を持ってたりして……。
実際のところ、「デザインとHTMLの分離」を強く主張している方々も、同じような理系的原理主義から言っているんだと思うんだけどね。
彼らは、古いブラウザは実装が不完全でクソだから破棄すべきと言う。一方、これまたシェア的にはかなり低いテキスト・ブラウザにも対応しろとも言う……。
俺は、その辺、もうちょっと鷹揚でもいいんじゃないかなという気がする。
「Nifty_Corners に関する議論」の話題に戻ると、世の中には「デザインとHTMLの分離」が「現時点では」難しいデザインというのがあって、でもやっぱり敢えてそういうデザインにしたいという人がいる。で、TABLE を使ったり、ある種のトリックを使ったりする。それに対して、「美しくない」「CSS の主旨に反する」と言う人がいる。
でも……それはそれでいいじゃない。こんなの、冷蔵庫とか本箱の中身どうやって片付けるかと同じですよ。好きにすればいいじゃないか。食い物が腐らず(いや、うちでもうっかりすると腐るけど)、本が読める分には(どこにいったかわかんなくなることも多いけど)。
「ソースとして美しくない」「後でデザインを変える時に苦労するよ」なんてお節介を言う人もいそうですが、そもそも、世の中のほとんどのページは「作りっぱなし」のページなんだから、そーゆーことは問題にならないのですよ。
「ソースに論理性がない」……すんません。この場合の論理性って、ある種の繰り返しのことなんだろうけど、そもそも中身に論理性がない場合にソースだけは論理的というのもなんというか……まあいいじゃないですか。
「ソースの美しさとか論理性」を誇れることはいいことなんだけど、コンテンツの中身の最重要部分はそこじゃないから……。
とはいえ、俺のページについて、「ちゃんとしたコンテンツの中身があるのですか」と問われると、返答に困りますがね。
「ソースが美しいと検索エンジンにひっかかりやすいよ」……いいよ、普通にひっかかれば。Google なんかもその辺、いろいろチューニングに試行錯誤していて、普通のページには普通にひっかかるようになっているみたいだし。
# やっちん 『いい機会だから>オレも2006にしちゃいました。期限残っているのになんとなく,残りの期限分は・・・?,と考えちゃいました。』
# morimon 『その辺、ちゃんと加算されるようですよ。さすがに。』
# ゆみねえ 『『もうちょっと鷹揚でいいんじゃないか』には同感です。必要に応じて使い分ければいいんじゃないですかねぇ。…この日記、読んだ時からコメントしたい気分だったのですが、なんだかタイミングを逸してしまいました。』
# morimon 『私がコンピュータ触ってて楽しいのはその辺の鷹揚さなんですよね。ザックザック書いて、まあ、そこそこ実用的に動くじゃないのという感じの。でも、今の IT 業界では、そういう仕事のやり方してちゃいけないようなところがあって(まあ、仕事なんだから当たり前なんですが)、ちょっと時代についてけないなという気分もある今日この頃です。』