2004/02/18(水)

日記

 夕方近くになって起床。バカンス関係書類が届いている。素敵だ。で、ひょんなことから某知人の秘密サイトを見つける。自称オカルトサイトらしいのだが、博学だなあ。えらいなあ。よくこんな難しいことが書けるなあ。刺激されて久々に思索。協和音に感じる美の生物的・文化的な起源を考えたり(まあ、要するに、通常秩序だった自然界では協和音が多く出現するし、一方、不協和音は破壊音に近いという話ですな)、十二平均律(隣り合う音の比 r が rの12乗=2 で定義される)が近似的な整数比を含んでいること(ドとファ→1:rの5乗=1:1.334...≒3:4、ドとソ→1:rの7乗=1:1.498...≒2:3、ドとラ→1:rの9乗=1:1.681...≒3:5)の偶然に感謝したり(もしそうじゃなかったら「音楽」は発見されなかったかもよ)。それから、大学院の時少し学んだMDL(Minimum Description Length)原理と物理・数学理論における「美」との関連について考えたり。「シンプルで美しい理論」は我々を超越したところに存在するのか、あるいは、世界の対称性と秩序に還元できるものなのか、それとも、結局は、MDL的に見い出されうる最小長さの記述に過ぎないと考えるべきなのか。可算個の記号表現を用いてひとたび構成的に記述しえた理論上の手続きには必ず最小長さを持った記述があるはずで(もちろんそもそも記述しえない「手続き」もあるわけだが)、それって、やはり多くの場合、人間にとって美しいと思えるものだったりするのかな。実際、数学における「美」の感覚って、すごくプリミティブで幼稚な「みんなの知らない近道を知っている」時の快感とよく似ているような気もするし……。でも、「美しい理論が存在する」=「最小の長さを持った記述が存在する」だと、なんか、ミもフタもない感じがするなあ。それに、こういう言い方って、「構成的」な理論だとそうだけど、そうじゃない「存在証明」の美には適用できないかもね。でも、俺の場合、「存在証明」見ても、あまり超越的なものって感じないしな。数学者にとってはそうでもないのかな。……まあ、いろいろ考えもするが、世界のダイナミクスが人間の言語を超越していることについては、全く異議ありませんな(しかし、コンピュータってのは、人間だけが使っていた記号ルールを世界のダイナミクスの中に埋め込み、エミュレートさせる機械なわけで、そういう意味では、画期的な発明というか、人間もスゴイというか)。で、深夜、おなかがすいていることに気付く。日付はもう19日。ジャスコ(お客様感謝デー)に行って弁当を買う。賞味期限を1日過ぎた牛乳を飲みながら食事。彼女はこんこんと眠っている。