2005/01/08(土)

日記

 彼女がどこぞで注文した食材が届く。本物のシシャモも入っている。

 世の中で一般に出回っているシシャモって、実はカペリン(樺太シシャモともいう)っつー別の種類の魚なんだよね。違いは鱗の大きさ。カペリンの鱗はぱっと見わからないくらいの小ささだが、本物のシシャモの鱗は結構大きい。これさえ憶えておけば簡単に区別できるようになります。で、当然味も違う。まあ、かといって、味利きできるほど、俺の舌が肥えているわけはないのだが。でも、実際、美味かったです。

 梱包用に入っていたプチプチマットでつい遊んでしまう。こういうのって、さりげに視覚と聴覚と触覚のマルチメディアです(世の中のマルチメディア礼賛に対するちょっとした皮肉)。世のデジタルクリエータ諸君、刮目せよ。

 「福耳」を見る。映画の内容自体は特に特筆すべきことはないのだが、主人公が(俺と同じく)「たかし」という名前で(俺と同じく)「耳たぶにほくろ」があるというのが、どうもなんというか、俺に目掛けての映画なのか、神からのメッセージなのかという気分になる。

 いや、こういうこと本気で感じてたらヤバイです。オカルトです。でも、若い人だとこういうきっかけで人生を方向チェンジしたりしちゃいそうです。

 大人になると偶然は偶然でしかないというのがよくわかります。でも、確率論的な偶然であると分かった上で、あえて自己暗示かけちゃって、行動につなげてみてもいいわけです。人間、どんなきっかけにしろ、行動するといろんな変化がでてきます。そして、これまた確率論的に、頑張ってやればそれなりの結果につながるという命題は往々にして真です。すべてを見通した上であえてする積極的楽観主義は大人の知恵です。

 ふと思い立ってカーテン取り付け。簾になっていたところを冬向け仕様にチェンジということで。しかしこの部屋のカーテン器具は、どうも機械的にややこしく、夫婦タッグで挑んでも、たっぷり1時間近くかかってしまう。イライラしますな。

 餅を焼いて食べる。醤油をつけて海苔を巻くだけ。でも、そのシンプルな味が素晴らしい。冬って感じです。

 夕方、床暖房の上で少し寝る。

 晩飯は、毛蟹・味噌汁・イイダコのキムチ鍋。美味いです。

 そして朝まで仕事。

 

# T体調 『この手の(「俺に目掛けての映画なのか、神からのメッセージなのかという気分になる。」)現象って、宗教的回心なんかと結構紙一重じゃないでしょうか。』

# morimon 『そうなんでしょうね。やばいパターンも多そうだけど、そこをきっかけにしてポジティブになにかを生み出していく人たちもいるので、こういうのの意味を積極的に評価してもいいかなっていう気分に最近はなってきましたよ。』