2005/01/09(日)

日記

 SSH まわりの諸設定。俺、このへん、ほとんど無知。T氏に教えてもらったWinSCP を使ってみる。うわ、こりゃ便利だ。WS_FTP に金を払って使っているのがバカらしくなってきます(いや、前者じゃ普通の ftp はできないから、やっぱ WS_FTP 使うわけだけど)。

 しかし、この手の暗号化関係って、選択肢とか設定オプションがいろいろありすぎて困りますな。サーバも対応してたりしてなかったり。

 なんでもそうだが、あんまり選択肢があり過ぎて自由なのは、かえって一歩を踏み出すのが難しいですな。小人は縮みこんでしまいますな。ブルドーザとなって道なき道を進んでいくか。あるいは、幸福なきっかけがないからと自分に言い訳しながら停滞を続けるか。ちょっとした閾値を越えるかどうかで、生き方って変わってくるね。

 あ、なんだか話が暴走している。いかんな。

 で、ごりごりごりと仕事。リソースのコンパイルにやたら時間がかかる。複数端末向けに分けてコンパイルしているけど、ほとんど中身は同じデータなんだよな。しかし、汎用性を考えると、1つ1つ違うものとしてコンパイルした方がいいんだよな。うまいキャッシュの仕組みを考えるべきかも。

 晩飯はカニのキムチ鍋。昨日の鍋の残りに具材を追加していくのだ。創業以来入れ替えていない秘伝の漬け汁みたいなものなのだ。

 「トリック3」の再放送が始まっている。とりあえず録画。仕事しながら見始めたが、やっぱ、こういうのは集中して見ないとな。というわけで、今日のところは仕事を優先して明日にお預け。

 仕事しながら、オーケストラ演奏のハイビジョン番組を見る。

 しかし、俺、コンサート的な演奏を生で聴いたことってほとんどないから、未だああいった音楽聴くときの作法ってやつがどうもわからん。

 演奏している人たちが一生懸命なのとは対照的に観客はなにもせずに聞いているだけってのが、まず耐え難い。

 座って、ずっと眺め、ずっと聞く。

 場の主体性は、演奏者にほぼ独占されている。

 少数の演奏者のまわりに、その何倍もの数の人間が、我慢強くじっと座っている。

 動かないのがルールなのだ。

 うわ、なんて退屈なんだ。

 活動していない脳の部位が暇だ暇だと叫びだす。

 俺は、なにか他のことを考え出してしまう。あの指揮者、口開きっぱなしだなあ、家では服をだらしなく脱ぎ散らかしてそうだなあ、あのバイオリン弾きの顎はよく発達しているなあ、あの金管楽器奏者の唾液はとても粘っこくてとてもクサそうだなあ。

 うむ、もちろん、目を閉じて、体をゆっくり振ってたり、指をタップしたり…という鑑賞スタイルもあるが、それって俺にとってはなんだか心地悪い。

 一観客に過ぎないのに、まるで演奏者の一員であるかのように勘違いしている風な気配がそこに見えてしまうようで。それってとっても気恥ずかしいことなのだ。

 かといって、俺も音楽に参加して一緒に叫んだりしたら怒られる。

 というわけで、やっぱり音楽は、「ながら」聴きに限るような気がする。

 実際、こうやって仕事しながら聴いている今、変な雑念なしに、ほんとすばらしいなあって思うのだから。

 それでいいのだ。

 で、今日も朝まで仕事。

 

# やっちん 『あんまり選択肢があり過ぎて自由なのは >一般的に・・・迷のなかに放り込まれ,かえって不幸な帰もしますな。』

# nyaolin 『他の人がどうかは知らないけど、私は音楽聴くと映像が脳内に出現します。ので、それを楽しんでますよ。』

# morimon 『ちょっと共感覚っぽいですね。』

# morimon 『自由って、自分の内的束縛を外的なものに拡大していけってことですから、なにもない人間には辛いです。』

# fuji 『先日、ボストン室内楽団のコンサートに行ってきました。私と YOME さんは演奏者の bald な頭に注目しておりました。』