2004/07/21(水)

日記

 帰省の準備。思いの外準備に手間取る。9時半を少し過ぎたくらいの時間にやっと出発。寝不足気味。30分ほど仮眠をとったのみ。

 照りつける熱い太陽光に炙られながら駅へ。今日も暑くなりそうだ。

 地下鉄・JR・近鉄を乗り継いで、実家と一昨日に亡くなったおばちゃんの家のある三重へ向かう。

 道中、本でも読んでようかと思ったが、実際はかなりの時間、座席でウトウト。

 昼飯は新幹線の中で弁当。たこめし。結構うまい。時間がないので近鉄電車の中でこそっと礼服に着替え(もちろん「俺が」だよ)。彼女は衝立代わり。うっかりネクタイを忘れてきたことに気づく。親に連絡して用意してくれるように頼む。

 やがて近鉄宇治山田駅に着いたのでそこからはタクシー。すでに開始の時刻の14時を過ぎている。

 到着したころには、告別式のメイン部分は既に終わり(がっくり)、一行はお骨を墓に納めるべく行進中(遺体はすでに朝のうちに焼かれている)。我々はそれをおいかける。墓はすぐ近所。

 この墓場はそんなに広くないのだが、結構古くからあるらしい。古くなった墓石は脇に積まれたりしている。元禄やら天明やらの江戸時代の墓もけっこうある。後、目立つのは戦死したと思しき若い男性のお墓。軍隊での位が名前の後に書いてある。

 皆で順番に、墓に葉っぱで水をかける。納骨する。土をかける。

 で、普通ならこれで終わりだが、うちのあたりの風習として、朝熊ヶ岳の上にある金剛證寺奥の院に行くというイベントがある。

 皆が車に分乗して、山を登る。少し車酔いする。

 奥の院には、ずらずらと1〜8mの高さの卒塔婆が立ち並んでいる。1万柱あるらしい。

 お坊さんにお経を唱えてもらう。

 オニヤンマが飛んでたり、ウグイスが鳴いてたり。都会で暮らしている身にとっては新鮮。

 子供たちは山から海を見下ろす望遠鏡に群がっている。投入するための10円玉を何枚かあげたらえらく喜んでくれる。子供というのは素直というか、単純というか。

 山を降り、もう一度お墓へ。山の上でもらってきたものをお墓の前に置いたのだと思うのだが、ちょっと離れたところからその様子を見ていたので、詳細不明。

 母親からおばちゃんの最期の様子を聞く。5月15日に帰省した時にはまだ会話もできる状態だったが、その後、数日して意識不明の状態になったらしい。うちの両親やおばちゃんの家族はずっとかわりばんこでつきっきりの看病をしていたとのこと。そして、7月19日の夜に亡くなった。

 去年の2月12日に初めておばちゃんの病気の話を聞いてから17ヵ月。その間、体調も良かった時期もあり、俺たちの結婚式にも出てもらえたし、外国旅行にも行っている。でもとうとう亡くなってしまった。おばちゃんの笑顔がもう見られない。みんなが寂しい。

 晩飯として仕出し弁当をいただく。量が多くて食べ切れない。

 おばちゃんの家は実はかなり古い建物らしい。築110年ほどなんだと。お風呂は未だにマキ。

 兄の運転する車で駅まで送ってもらう。19時53分の近鉄特急に乗る。

 電車の中では2人ともずっと寝ていた。

 名古屋では、電車の乗り換え待ちの間にJRセントラルタワーズの展望台に上る。このビルは少し誘導表示がわかりにくい。下りる時にちょっと迷ったりした。

 のぞみの東京行き最終便に乗る。2人ともまた寝る。23時58分に東京に到着。

 帰宅後、オス2号の死亡を確認。残るはメスのみ。幼虫はどんどん大きくなっている。代替わりが進む。

 そして朝まで仕事。