2004/04/07(水)

日記

 昼飯は肉味噌+ご飯。最近こればっか。床暖房の上で転がってたら、そのまま昼寝してしまう(仕事しろよ>オレ)。今日も mixi。試しにコミュニティもいくつか作ってみる(コミュニティのアイコンって、その人の属性一覧としても機能しているよな)。で、彼女のmixi 用の似顔絵を2枚描く。最近、mixi のおかげで、彼女の Amazon 滞留時間が減ったらしい。無駄遣いが減るのはいいのだが……(ちゃんと仕事もしろよ>我々)。で、晩飯は……肉味噌+ソーキ+ご飯。毎日同じようなものばかり食べている。というか、味噌と豚とご飯しか食べてない……。寝転んでプロジェクタでニュースを眺めているうちに寝てしまう。寝ながら見るプロジェクタには催眠作用があるような気がしてならない。

「反動」としてのソーシャル・ネットワーク――ネットワークにおける「距離」概念の復活

 で、ぼーっとした頭でいろいろ考えたりするわけだが、ソーシャル・ネットワーキングって、普通のインターネット的な道具の中で一旦消えた明示的な「距離」の概念をまた復活させている部分があるような気がする。mixi を触っていると、頭の中で友達間のネットワーク地図が明確なものとして浮かんでくるし、「近い」「遠い」の感覚もかなり鮮明にイメージできる。でも、実は、ふつうのインターネット的道具ってその辺の「距離」感覚がないのが売りだったんだよね。実際、ふつうの Web では遠くへのリンクも近くへのリンクもフラットな立場で並立してたし、受信メールのリストの中でも、地球の裏側に住む人と遠くに住む人が隣り合わせだったりして、実は、そういう距離感の希薄さに我々はクラクラと酔いしれていたわけだ。で、それこそが、インターネットのスゴさでもあった。……結論はというと、「ネットワークの進歩とともに人間の認識方法も進歩しなくてはいけない」というテーゼの下では、この手のソーシャル・ネットーワークって、ある種の「反動」なのかもしれないね。すでに既存の距離空間を越えた新しい距離空間を模索すべき段階に我々は来ているのに、それから目を背けようとしているだけなのかも。