2006/04/15(土)
不定期メモ:最悪の昭和30年代 〜ブームに反発中〜
最近の昭和30年代ブームに反発して、「最悪の昭和30年代」と題したメモをつけ始めることにする。環境破壊が始まり、労働条件も劣悪、バリアフリーなんてなくて、地域格差・経済的格差や社会的差別が今以上にあらわで、工業製品はまだ低品質でパクリが横行、そこかしこが不潔だった時代。そんなに持ち上げてどうする。
今日はとりあえず、環境破壊と公害から2点。
- 近隣住民を含めたアスベスト被害でニュースによく出るクボタ旧神崎工場のアスベスト製品製造開始年は昭和29年。で、昭和40年代にかけて「最盛期」を迎える。
- 水俣病が報告され始めたのは、昭和30年代初め頃。「水俣病公式発見の日」とされるのは、日本窒素肥料水俣工場附属病院長が水俣保健所に報告した昭和31年5月1日(もうすぐ丸50年)。
まあ、あの時代が明るく見えるのは、実際の状態云々じゃなくて、日々の微分によるものなんでしょうけどね。何かが良くなっていくという。
俺はまだ生まれてなかった時代のことですけどね。
一家に1枚ヒトゲノムマップ
「文科省が「一家に1枚ヒトゲノムマップ」を配布中」だそうで。これいいね。
こういうのは、潜在的に世の中を変えるのかもしれない。今、生まれた子供が、20年、30年後に大人になった時、俺たちの知らないことを当たり前のように知っている。これこそ科学教育なんだろうなあ。
いや、ちょっと褒めすぎか?
後、日本地図と世界地図も一家に1枚欲しいね。
世界地図は、あえて日本を中心にせず(中学高校くらいの時、俺の家にはそうやって組み替えた地図が張ってありました)。
日本地図も「環日本海諸国図」なんかを使ってね。
突然、「手をとり行こう おらいあお、青空に向かい、おらいおあお」(掛け声不正確かも)なんて歌を思い出す。彼女は聞いたことがないと言う。ネットで検索してみてもかからない。この歌はなんの歌だったのか。誰か知っている人教えてください。
ちょっと昼寝。ここ数日、きちんと朝型なのはいいが、昼から夕方にどうも眠くなる。
隣町のホームセンターへ。ちょっと寒い。彼女が園芸用品を見ている間、俺は乗馬健康器具で遊ぶ。
プランター、でかくて持ち帰るのが大変だ。
晩飯は、タラとカニの鍋。
食事しながら、「マトリックス リローデッド」を見る。今見ると……。映画館で見た時には、結構マジメに受け取ってたんだけど。
# シロ 『まぁお父さん達が一番輝いていた時代ですからね。お父さんにとっては懐かしく思うし、今の人たちにとっては父親の追憶にもなるし。思い出ってのは往々にして美化されるわけで。』
# morimon 『実は、私は、あの時代に少年・青年時代を送った 60歳前後のおじさんって、かなり好きなんですけどね。』
# Mantis 『環日本海諸国図は、網野善彦の「日本の歴史」に掲載されていたのを見て、感銘を受けました。それにしても、PDFに落として公開すればいいのに、富山県がケチなのか、国土地理院がケチなのか(^-^;』
# yuri 『戦争が終わって10年たってやっとPTSDから解放されつつある時代ですよね。なんとか復興して、これからという時期だからねぇ。』
# morimon 『私も、網野の本で知りました。地図は権利関係が難しいんですかね>Mantis さん。』
# morimon 『PTSD なんていう言葉はまだないような時代ですからね。「戦争の後遺症」とでも言っていたのかな。ともあれ、希望に溢れた時代だったんでしょうね>yuriさん。』
# T体調 『家は地球儀+月球儀でした。<一家に一枚世界地図 軸から外して北半球と南半球に分割できるやつだったため、ボール代わりに使われてしまったこともありましたが^^ 』
# morimon 『なんだか、「世界を手玉に取る」っていうのを実際にやっていた格好ですね。』