2004/04/21(水)

日記

 春はやたら眠い。昼飯に牛スジ丼を食べた後、昼寝してしまう。

 2時間後、また起きる。寝転びながら溜まった新聞を読む。新聞には雑多な情報が並置されてるのがいい。脳の色んな部分が刺激されるような気がする。ネットだと選択的情報になりがちだからな。

 ぼーっとなんとなく理想の社会について考える。

 現代社会の悪い面として、競争社会っていうのがよく挙げられるけど、かといって、競争をなくした方がいいのかというと、そんなに単純じゃない気がする。人間って基本的にみんな競争が好きだもん。すごく小さな子供でも、他人と勝負して勝つのって快感らしいし。競争が嫌いとはっきり言う人もいるけど、大体は負けるのがイヤなだけなんだよね。あるいは、自分の興味のないことについては、競争する気が起きないということだとか(俺もそう)。でも、まあ、競争好きってのは自然淘汰の条件の中で人間が得た属性としてある程度認めなくっちゃ仕方ないと思う。

 問題は、情報化社会とそれをどう絡めるかということ。

 家族で一番絵が上手くなるのは難しくないし、村で一番ピアノが上手くなるのも難しくないかもしれない。でも、情報化社会は、世界全体の情報を一個人の前に提示する。だから、どんなに能力があったって、それより能力がある人は世界にゴマンといることを否応なく認識させられちゃう……(情報というものが容易に身体的距離を飛び越えちゃうっていうのは、考えてみれば恐ろしいことだと思いませんか)。村社会で閉じてれば自信持ったまま生きられたのにね。

 結局必要なのは、「足るを知る」ということなのか、あるいは、行為そのものに付随するプリミティブな喜びこそ最重要と考えるべきなのか、それとも、ニッチな自分たちの場所というのを見つけて、そこでの小さなコミュニティ内(あるいは1人)で自足すれば良しと考えるか(これに関しては、インターネットというのは非常に役に立つ道具かもしれない)。まあ、これらの方策に共通するのは一元的に押し付けられがちな社会的序列から一旦離れてみるっていう点なわけだな。

 でも、本当にそれでいいって言い切っちゃってOKなのか、少なくとも競争社会によって構築された文明下に住んでいる人間としては、なかなか迷うところ。社会・技術の諸状況での最適化において、競争というのはもっとも有効に機能する枠組みの1つであることは間違いないからな(それが倫理的・人道的に正しく用いられているかどうかは別として)。

 まあ、当たり前の結論としては、いろんなサイズの共同体に属しながら、それぞれに付随する情報をクラス別に適切にブレンドして自尊心の中へ受け入れるべきだということなんだろうな。そして、その際、やっぱり、共同体の価値と自尊心を同一視しちゃうってのは(ナショナリズムとか会社への帰属意識とか……)避けたいな。競争に敗れた際の自尊心の保ち方として一番手っ取り早い方法なんだろうけど……。うーん、こうやって書いているととりとめがないな。

 映画館へ。真珠の耳飾りの少女を見る。完成度の高い映画です。こーゆー作品の作り方もあるのね。でもこれって全部原作者&監督の妄想なんだよね……。バーバーゴーストワールドにも出ていたスカーレット・ヨハンソンが美しい。今上映中のロスト・イン・トランスレーションにも出ているし、すっかり人気女優ですな。

 東銀座の矢場とんなる味噌カツ屋で食事。大衆的な雰囲気なのに少し高い。

 帰宅後、シンプソンズを2話見て就寝。